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人生朝露

人生朝露

ディックと禅とLSD。

荘子です。
今回も荘子・・・なんでしょうか。

フィリップ・K・ディック(Philip Kindred Dick 1928~1982)。
フィリップ・K・ディック(Philip Kindred Dick 1928~1982)です。

参照:フィリップ・K・ディックと禅と荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5142/

『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(1964)。
『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(1964)の後日談について拾いものを。

1991年に、『フィリップ・K・ディックの世界 消える現実』という本が出ています。この中で、PKDと親交のあった音楽評論家、ポール・ウィリアムスが、あるエピソードを紹介しています。

≪ぼくは、続く数年前に彼と何度も会った。いつもサン・ラフェルの彼の家でだ(フィルは隠遁者で、その作家としての生涯を通じて、SF大会や出版記念パーティーに出席したのはおそらく十回にみたなかった)。そのなかで、ふたつの出来事が僕の脳裏に焼き付いている。
 ひとつは、彼が未発表の主流小説(メインストリーム・ノベル)『戦争が終わり、世界の終わりが始まった』をぼくにあずけてくれたときのことだ。この作品は、彼が書いたたくさんのSF以外の小説の中でも彼の一番のお気に入りで、一九五〇年代には、買ってくれる出版社が見つからなかったものだ。ぼくは、よかったらニューヨークの知人たちにあたってこの作品の出版社を探してみましょうと申し出たのだった。フィルは部屋の中をゆっくりと歩き回り、ついにはこの企ての是非を易経で占った。ご託宣はこう出た「古い干肉を食らい、毒にあたる」これは、不吉なことのように思えた。フィルは、若妻であるナンシーがはしゃぎすぎてると小言を言いどおしだった。彼女がある種の実証主義的な考え方の哲学にかぶれていることを軽蔑しているように見えた。彼は、神経質で、怒りっぽく、幸福ではなかった。それが、不思議なことに、急に彼の気分が変わった。今から思うと、何度も何度もつっ返されてきたこの古くて愛着のある本をもう一度試すことは、ひどくストレスを感じさせることであったのだとう。希望とおびえ、そして、絶望の記憶がどっと蘇ってきたのだと思う。(『フィリップ・K・ディックの世界 消える現実』より 小川隆×大場正明訳))

”I Ching: Or, Book of Changes” Richard Wilhelm's and Cary F. Baynes translation 1950。
また『易経』なんですが、ディックが引き当てたのは、九鬼周造さんが、『偶然性の問題』のなかで取り上げています。

参照:フィリップ・K・ディックと『易経』。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201212110000/

莫耶の剣の偶然、莫耶の剣の運命。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5091/

ポール・ウィリアムスの回想のつづき。
≪もうひとつの出来事は、実は電話だった。一九六九年春のわずかな期間、おそらく十日間くらいだったが、ぼくはカリフォルニア州の知事選の候補となったティモシー・リアリーの選挙参謀として、ティムとローズマリー夫妻とともに遊説してまわった。カリフォルニア大学での講演、フロリダのロック・フェスティバル、そしてニューヨーク市、モントリオール---そこは、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが“平和のためのベッド・イン”パフォーマンスを続行中だった---での記者会見を経て、ぼくたちの旅は終わった。ニューヨーク滞在中にぼくは、ハードカバーで出版されたばかりのPKDの小説『ユービック』を買ったのだが、そのおかげで、リアリーもまたフィルの小説の大ファンであることがわかった。ぼくは、ジョン・レノンが泊まっているホテルの部屋から、ティム・リアリーがフィル・ディックに電話をかけられるように便宜をはかった。後でぼくたちは、レノンにフィルの『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』を一冊プレゼントした。彼はそれを読んだに違いない。なぜなら、それを映画化したいとインタビューで語っていたからだ。
 そして月日は流れた。ぼくはカナダの荒野にあるヒッピーのコミューンで生活し、その後、ニューヨークにもどった。フィルは妻に捨てられ、サン・ラフェルの“街頭生活者”と深く関わるようになっていた---そのほとんどがドラッグをやる若者で、彼の家をたまり場か寝場所のようにしていたようだ。ぼくは、この時期に一度だけフィルを訪ねたが、かれは導師のような役を演じているような印象を受けた。それは、奇妙な光景だった。(同上)≫

Recording Give Peace A Chance.(1969 Montreal)
1969年。カナダのモントリオールでジョン・レノンとオノ・ヨーコによる「ベッドイン(Bed-In)」という平和活動が行われまして、ポール・ウィリアムスも参加しています。↑の写真は有名な「平和を我等に(Give Peace a Chance)」という曲のレコーディング風景でして右端の眼鏡の男性がポール・ウィリアムスです。

参照:The Plastic Ono Band - Give Peace A Chance
http://www.youtube.com/watch?v=tlKX-m17C7U

老子を読むジョンとヨーコ。
ジョンとヨーコが『老子』を読んでいる写真も、この頃撮影されたものです。

前掲の写真の中央に映っている白髪の男性。「平和を我等に(Give Peace a Chance)」の歌詞にも名前があがっております。
“Ev'rybody's talking aboutJohn and Yoko, Timmy Leary, Rosemary,Tommy Smothers, Bobby Dylan, Tommy Cooper,Derek Taylor, Norman Mailer,Alan Ginsberg, Hare Krishna,”

フィリップ・K・ディックの晩年の傑作『ヴァリス(VARIS)』にもその名前が出てきます。ジョン・レノンとPKDの両方に関わり合いのある人物。

ティモシー・リアリー(Timothy Francis Leary 1920~1996)。
アメリカの心理学者にして、サイケデリックの父、ティモシー・リアリー(Timothy Francis Leary 1920~1996)です。1960年代のカウンターカルチャーの土壌をつくった人で、アメリカの西海岸で爆発的に流行した東洋思想の紹介者のうちの一人。彼は、1969年にカリフォルニア州知事選挙に立候補しました。その応援歌としてジョン・レノンが作曲した曲に、ティモシー・リアリーが『易経』から単語を引き出して、タイトルをつけたとされるのが“Come Together”です。(リヒャルト・ウィルヘルムの『易経』の英語版によると、Come Togetherという言葉は5回使われています。)

参照The Beatles - Come Together
http://www.youtube.com/watch?v=axb2sHpGwHQ

このPKDやティモシー・リアリーに関わると、東洋思想との距離が一気に縮まると同時に、あの当時の文化の影の部分も触れなければならなくなります。すなわち、その摂取により「意識を解放」し、東洋の宗教的境地の疑似体験が得られるとして流行した薬物。

LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)。
LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)です。

参照:Wikioedia LSD (薬物)
http://ja.wikipedia.org/wiki/LSD_(%E8%96%AC%E7%89%A9)

ジョブズ。
>LSDはすごい体験だった。人生でトップクラスというほど重要な体験だった。LSDを使うとコインには裏側がある、物事には別の見方があるとわかる。効果が切れたとき、覚えてはいないんだけど、でもわかるんだ。おかげで、僕にとって重要なことが確認できた。金儲けではなくすごいものを作ること、自分にできるかぎり、いろいろなものを歴史という流れに戻すこと、人の意識という流れに戻すこと。そうわかったのはLSDのおかげだ。(スティーブ・ジョブズ)

参照:スティーブ・ジョブズと禅と荘子 その2。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5077

サイケなルーシー 2。
PKDの作品は、LSDを含めた薬物体験が不可欠な要素としてあります。ビートルズでいうと、“Lucy in the Sky with Diamonds”(頭文字がLSD)。ジョン・レノン本人は「勧めてはいない」と言っていますが、アニメ版の『イエローサブマリン』でアニメーターが確実に意識して作ってしまったので(あの色彩感覚のカオスは、明らかにLSDの幻覚作用によるもの)、サイケデリックという文化の象徴ともなっています。

参照:The Beatles - Lucy in the Sky with Diamonds (Music Video)
http://www.youtube.com/watch?v=uP7rv1HAIDA

鈴木大拙(1870~1966)。
>鈴木大拙 ビート・ジェネレーションの親玉株に、ジャック・ケルーアックという小説家がおる。まじめないい人ですがな。その人が「寒山拾得に捧呈する」という本を書いた。寒山拾得は唐時代のひょうひょうとした詩人ですね。よく絵にあるでしょう。あの生活は、近代の、ことにアメリカの生活状態と離れたもので、ほとんど想像されんくらいな距離がある。それは自由なんだ。ひょうひょうとして、着物もキチンとしとるじゃない。ああいういかにも自由な生活というものを、アメリカのビート・ジェネレーションが憧れるんですな。アメリカは自由の国というけど、それほどでない。ネクタイをキチンとせんならんとか、男女の関係にしてもですね、拘束圧迫ですな。若い者はそれから離れようとする。
(中略)
>アメリカにはLSDという阿片みたいな薬というか、一種の鎮静剤、催眠剤のようなものですな、噛むと一種の精神状態にはいる。そいつが禅だという人がおって、ハーバード大学でそれを研究しておる先生もある。そういうものを禅とまちがえられると大騒ぎになりますからな(笑い)(「週刊朝日」昭和40年1月1日号より)。

参照:世捨て人の系譜。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5063/

本年はこの辺で。


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